JRT~Aftereffects

JRT~Aftereffects

アル中かもしれない。日の入りと共にビールで飲みはじめ焼酎の水割りで締める日本一周道中の習慣が普通の生活に戻っても切れないのだ。専ら安物ウイスキーの炭酸割りかコークハイを飲んでいる。サントリートリスのガザついたTasteがハイボールには最適、水割りやロックにはブラックニッカがベターだ。

実は日本酒が最も好きだ。亡き父が愛飲した能登の宗玄が俺的にはベストな存在なのだが如何せん高い。

これではダメと、休肝日を設ける為に夜勤アルバイトに行き始めた。それにストレスによるボケ防止と小銭稼ぎも兼ね、加えて日中の自由時間を有効に使える。今が環境的にベストで充実しているのかもしれない。。。

また、道中飲みながら一日を振り返り日記を書いていたが、それが今でも習慣になっている。

俺は運命論的考えをする事が多かったが、日本一周を終えて運命論者になったようだ。一日を振り返りながら日記を書いていると、過去の行動・出来事が現在の自分に繋がっていることを発見したり、また予感していたことが実際に出くわしたことを再認識することも多い。

運命は人の意志の超えたところで予め決められて、世の中全体は前もって決まっている、と改めて確信した。過去にも母の事故死に直面する直前、一週間ほど交通事故死の夢を何度も見て不吉な前兆に苛まれた、自身の死と思ったこともある。今お世話になっている夜勤先も既視感というか前から気になっていた建物だ。遠い先お世話になる「点」となるかもしれない。

ふと、スティーブン・ジョブズの「点と点をつなげる」というメッセージを思い出した。

あのスタンフォード大学での有名なスピーチ、

「You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road gives you the confidence to follow your heart even when it leads you off the well-worn path. And that would make all the difference.」

将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。 (日経「ハングリーであれ。愚か者であれ」ジョブズ氏スピーチ全訳 から引用)

全ては結果から見て後付けで判断できるだけである。点と点の間の「線」を歩んでいるときには、その次の点がどういうものか全くわからない。バラバラの点であっても何らかの形で将来に繋がっているかもしれない。その「線」が人の意志を超えた運命と言える存在かもしれないが、ジョブズはその「点」、つまりEventの応じ方はその時の自分が決めれるのだ、ということを主張したかったのではないだろうか。

宗教的に密教に興味があったので、日本一周では神社仏閣を積極的に回ったが、、、

念願だった恐山と高野山は単なる昔のテーマパークですな。何にも居ない。

ただ吉野の金峯山寺は近所の人が早朝勤行に来てて感動的な出会いであった。

ブッダ本来の教えは「自己の身を支えとして生きろ、他人に頼ることなかれ」と民衆救済を訴えていない。どちらかと言うと、「人生で起こるどんなことも心の中の出来事に過ぎない」という唯識の法相宗に興味があるが、そんな欠片も見えない現在の興福寺と薬師寺にはガッカリ。

しかしながら、鹿島神宮と弥彦神社には強烈な印象を受けました。近づくにつれて身体が震えました。何かありますね。

飾り気の全くない鹿島神宮

ダークホース的な存在の弥彦神社

人は死んだら一切無に帰ると考えているが、霊の存在は確信している。また身内の例で恐縮だが、義父が急逝した時ロンドン出張中の夜中不意に義父がふっと出てきて去っていく不吉な夢ではっと目が覚め自宅に電話をかけようとしたが朝の4時だったので躊躇したことを今でも鮮明に覚えている。縁が強いほど「霊」が繋がるようだ。

予感・運命に対しては率直に判断し受け入れる気持ちの準備は心掛けておくが、楽しく生きてこそ人生だと思っている。過大なストレスは負わず身の丈に合ったチャレンジしかしない主義。「やればできる」、自分の意志と努力次第で何事も達せられる、日本の近代若しくは高度経済成長期に代表される自由意志の肯定にある生き方よりも、日々の小さな楽しみ、喜び、些細な幸福感を求めて生きる喜びを追求している。

新たなチャレンジに対しても躊躇はしなし、多少なりとも意志の用い方には拘ってはいるが、運命には抗わずただ受け入れるしかないと達観している。UnfavorableなEventが発生した場合でも次にFavorableなEventが必ず起こると信じているので、酷く悲観になることもないし余程の事がない限りその程度で済んでラッキーと思うくらいだ。

今回の日本一周も絶対無駄死にしないと確信していたし、スピードメーターの破損や不安定な走行からバイクのメンテの必要性を痛感し一旦旅行を中断し自宅に戻るタイミングを見計らっていた矢先の追突事故、ラッキーとの思いの方が本音だ。

自分を見つめ直す機会でもあった日本一周旅路で再認識したそんなことを思い出させてくれるヘベレケの正月三が日です。

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