JRT~Towards The Japan Alps Traverse

JRT~Towards The Japan Alps Traverse

日本一周で登山に目覚めて以来、来年の夏に向けて日本アルプス縦走ルートを選定中だ。立山登山で美しい頂きの剣御前を遠望して北アルプスでは剱岳の登頂は絶対外せないと思っているが、今の技量では無理なのが実態だ。そんな折腰越なごやか福祉センターで60歳から登山を始めて8年間で百名山を登りきった凄い女性に出会いました。

見た目は華奢で77歳には絶対見えないほど若々しくお肌がきれいな山ガールだが、気持ちが若いのがこの手の御仁の共通した特徴である。彼女からは何がなんでも登るのだという強い意志が成功の鍵と軽く否されている次第。

還暦を過ぎて登山に前向きになる自分の姿なんて想像することもなかったが今では暇があれば登山家の著書を渉猟し夢を膨らませている毎日だ。中でもWalter Weston氏著のThe playground of the far east日本アルプス再訪)の第十六章にある次の言葉が日本アルプス縦走を目指す自分の気持ちを代弁している。Weston氏は日本アルプスを世界に紹介した宣教師だ。

  • We who go mountain-climbing are sometimes asked, somewhat skeptically, it may be, and perhaps a little sarcastically, “Well, are the pleasures worth the pains – do the delights you profess to enjoy really repay you for all the drudgery you appear to undergo ?” Well, in the last resort no one can make another understand it all by mere argument, each must arrive at understanding by personal experience ; it cannot be appreciated vicariously.
    山登りに行く者は、おそらく、いささか疑いながら、あるいは、少し皮肉をこめて、次のように尋ねられる。「そんなに苦労して、どれだけの楽しみがあるのですか。あなたは喜びを味わっているといいますが、あなたが耐えているような労苦に報いるほど、本当に楽しいのですか」しかし、結局は、いくら説明しても、他人にそれをすべて理解させることは不可能であり、各人は自分自身の経験を通してのみ、理解できるようになるのである。他人の経験を通しての想像では、わからないのである。
  • Each mountain ascent is, so to speak, a “final tie.”
    山の登攀は、いわば、勝負のない引き分け試合である。
  • Moreover, there is the comforting thought that there is no form of really active physical recreation that can be kept up with real pleasure so late in life. The apprenticeship may, for serious active ascents, be rather a long one, but at an age when most other field sports are out of the question, and a man may be reduced to the solace offered by croquet or golf, the ”call of the hills ” can still be obeyed, and their delights enjoyed. The combined skill and experience of many an old mountaineer can often out-distance on a fairly difficult day’s climb the combination of youthful energy and inexperience.
    さらに、かなり年をとってからでも、心からの楽しみを継続できる、活動的な肉体的レクリエーションは、登山以外には存在しないと考えただけでも愉快である。本格的な、アクティブ登攀のための修行は、かなり長い期間が必要である。しかし、たいていの他の野外スポーツが、年齢のためにできなくなって、クリケットとかゴルフのようなスポーツだけに慰めを得るような状態になっても、《山の呼ぶ声》にはまだついていけるし、山の喜びを享受することができるのである。老登山家の技術と経験が結合した力は、かなり困難な登攀においても、若者のエネルギーと未経験とが結びついた力に、勝ることが多いのである。
  • It teaches us the superiority of fixed purpose and steady perseverance to mere brute force ; and we find that each single summit, and at times each single step, may have to be gained by patient labour, since wishing can never hope to take the place of working.
    登山は、しっかりした目的と着実な根気強さが、ただの腕力よりも優れていることを教えてくれる。そして、どんな山頂一つでも、ときには、わずか一歩でも、忍耐強い労苦によって得られるのだということがわかる。ただ、願望しているだけでは、けっして労苦にとって代わることはできないのである。
  • Rightly regarded and prudently pursued, our mountaineering will repay tenfold the toil it involves, in its gifts of renewed health of body, with a mind invigorated, and a spirit uplifted by closest contact with nature in her most glorious aspects and in her grandest or her most gracious moods.
    正しく見つめ、慎重に行動すれば、わが登山という趣味は、そこで味わう苦労の十倍も報いてくれるのであろう。非常に壮麗な景観の中で、そしてこの上なく気品のある、あるいは優しい雰囲気の中で、自然と身近に接触することによって、健康は蘇り、元気な気持ちになり、精神は高揚するのである。

要はsolvitur ambulandoに尽きるということであろうか!

自分は心が自由になれる単独行しか志向していないが、若くないので無理をせずにその時の自分にあった山を選んで自分らしい登り方して可能な範囲でバランスを取っていくことを心がけている。山はやったことがやっただけ自分にかえってくるものだが、自分の技量を超えて挑戦したい気持ちも当然強い。
今の内に力を蓄えておいて来年夏の本番までに自信をつけておこうと決意も新たな今日この頃だ。その助走として今年の夏は軽めの登山で準備をしておこうと思っている。さてどこにするか、選ぶ楽しい毎日を送っている。

この機会に登山家の名言の中で最も自分にとって励みになるヒラリー卿と植村直己さんの言葉を挙げておく。

ヒラリー卿

  • Mount Everest, you beat me the first time, but I’ll beat you the next time because you’ve grown all you are going to grow… but I’m still growing!
    エベレストよ、今回は私たちの負けだ。だが必ず舞い戻って、登頂してみせる。なぜなら、山はこれ以上大きくならないが、私はもっと成⻑できるからだ
  • It is not the mountain we conquer, but ourselves.
    われわれが征服したのは山ではなく自分自身だ

植村直己

  • あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。(北極点グリーンランド単独行)
  • 誰からも左右されない、自分の意志ひとつで行動できる単独行であれば、それが人のためではなく自分のためであればあるだけ、すべてが自分にかえってくる。喜びも、そして危険も。
  • 山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。(⻘春を山に賭けて 文庫版のためのあとがき)

つづく

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