三島由紀夫〜豊饒の海

三島由紀夫〜豊饒の海

夜勤明けに鎌倉文学館で開催されている特別展を見て来た。川端康成にして三島文学の最高峰であると言わしめた三島由紀夫の遺作『豊饒の海』四部作の解題がテーマだ。特別展のテーマの意図する処が自分が探し求めているものと異なっていた事は残念だったが、直筆の原稿、創作ノートが展示されていてそれ自体は大変興味深いものであった。

腰越図書館で開催されていた三島由紀夫フェアーが特別展に赴く発端となった。フェアーでは彼に関する関連本が一切展示されていた。当然興味の対象は市ヶ谷の駐屯地での自刃と『豊饒の海』最終巻『天人五衰』での大ドンデン返しに至った経緯の手掛かりを見つけることだった。片っ端からあまたの三島論を乱読したが消化不良の感が拭えない。
特に、自刃に関する解釈は千差万別。適当な事を云うなと言いたい衝動に駆られる失礼な評論も多い。俺は本当の理由など誰も分からないと思っている。

最初に、最後の大ドンデン返しと云われる所以となった創作ノートを抜粋する。

『春の雪』創作ノート
(INDEX の次のページの余白にホッチキスで留められた原稿用紙)
第四巻ー昭四十八年。
本多はすでに老境。その身辺に、いろゝ、二、三巻の主人公らしき人物出没せるも、それらはすでに使命を終りたるものにて、贋物也。四巻を通し、主人公を探索すれども見つからず。つひに八十❲「八十」抹消〕七十八歳で死せんとすとき、十八歳の少年現はれ、宛然、天使の如く、永遠の青春に輝けり。(今までの主人公が解脱にいたって、消失し、輪廻をのがれしとは考へられず。第三巻女主人公は悲惨なる死を遂げし也)
この少年のしるしを見て、本多はいたくよろこび、自己の解脱の契機をつかむ。
思へば、この少年、この第一巻よりの少年はアラヤ識の権化、アラヤ識そのもの、本多の種子たるアラヤ識なりし也。
本多死なんとして解脱に入る時、光明の空へ船出せんとする少年の姿、窓ごしに見ゆ。(バルタサールの死)

 エンディグではまさに解脱の境地を象徴的に描こうと構想していたが、実際に書かれた『天人五衰』の結末は全く異なるものになっている。本多が月修寺の門跡となっている八十三歳になる綾倉聰子を六十年ぶりに訪ねる場面から始まる有名なラストシーンを抜粋する。

「その松枝清顯さんといふ方は、どういふお人やした?」
(略)
「えらう面白いお話やすけど、松枝さんといふ方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違ひでつしやろ」
「しかし御門跡は、もと綾倉聰子さんと仰言いましたでせう」
と本多は咳き込みながら切實に言った。
「はい、俗名はさう申しました」
「それなら清顯君を御存じでない筈はありません」
 本多は怒りにかられてゐたのである。
(略)
「いいえ本多さん、私は俗世で受けた御愛は何一つ忘れません。しかし松枝清顯さんといふ方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違ひますか? 何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやつて、實ははじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか? お話をかうして伺ってゐますとな、どうもそのやうに思はれてなりません」
「では私とあなたはどうしてお知り合ひになりましたのです? 又、綾倉家と松枝家の系圖も残ってをりませう。戸籍もございませう」
「俗世の結びつきなら、さういふものでも解けませう。けれど、その清顯といふ方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお會ひにならしやつたのですか? 又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかつたのかどうか、今はつきりと仰言れますか?」
「たしかに六十年前ここへ上つた記憶がありますから」
「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」
「しかしもし、清顯君がはじめからゐなかつたとすれば」と本多は雲霧の中をさまよふ心地がして、今ここで門跡と會つてゐることも半ば夢のやうに思はれてきて、あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去ってゆくやうに失はれてゆく自分を呼びさまさうと思はず叫んだ。「それなら、勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。······その上、ひよつとしたら、この私ですらも······」
 門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。
「それも心々ですさかい」
(略)
これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。數珠を繰るやうな蟬の聲がここを領してゐる。
 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。······

「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日

 これが三島の遺作『豊饒の海』の結末である。涅槃の心の平安など微塵もなく寂寞を極めた虚無の世界に茫然と自失している。第一巻にはじまり、ニ、三巻と三回の転生を経たが、最終巻の最後の最後で四回目の転生を打消し、霊魂を否定している。ここに至り本多の心は一切何も無い空間に居る。

 三島は先立つ第三巻『暁の寺』で、霊魂の実体的存在をキッパリと否定し、死んでしまえば全て無と主張する。

 仏教を異教と分つ三特色の一つに、諸法無我印といふのがある。仏教は無我を称へて、生命中心と考へられた我を否定し、否定の赴くところ、我の来世への在続であるところの「霊魂」をも否定した。仏教は霊魂といふものを認めない。生物に霊魂といふ中心の実体がなければ、無生物にもそれがない。いや、万有のどこにも固有の実体がないことは、あたかも骨のない水母のやうである。

 仏教では輪廻転生を信ずるが、無我であるのにもかかわらず、何故輪廻があるのか?、輪廻転生の主体は何なのか?、との問いが当然起こる。これにつづく「暁の寺」では、

 しかし、ここに困つたことが起るのは、死んで一切が無に帰するとすれば、悪業によつて悪趣に堕ち、善業によつて善趣に昇るのは、一体何者なのであるか?我がないとすれば、輪廻転生の主体はそもそも何なのであらうか?
仏教が否定した我の思想と、仏教が継受した業の思想との、かういふ矛盾撞着に苦しんで、各派に分れて論争しながら、結局整然とした論理的帰結を得なかつたのが、小乗仏教の三百年間だと考へられるのである。
 この問題がみごと哲学的成果を結ぶには、大乗の唯識を待たねばならないのであるが、小乗の軽量部にいたつて、あたかも香水の香りが衣服に薫じつくやうに、善悪業の余習が意志に残つて意志を性格づけ、その性格づけられた力が引果の原因になるといふ、「種子薫習」の概念が定立せられて、これがのちの唯識への先蹤をなすのだつた。

 そして、紀元前二世紀後半インド哲学とギリシャ哲学との対決として有名なミリンダ王の問いの対論からの抜粋へとつづく。

「王問うて曰く、
『尊者よ、何人も、死後また生まれ返りますか』
『ある者は生れ返りますが、ある者は生れ返りませぬ』
『それはどういう人々ですか』
『罪障あるものは生れ返り、罪障なく清浄なるものは生れ返りませぬ』
『尊者は生れ返りなさいますか』
『もし私が死するとき、私の心の中に、生に執着して死すれば、生れ返りましょうが、然らざれば生まれ返りませぬ』
『善哉、尊者よ。』」

 この対論では明白な答えは明らかにされていないが、「私の心の中に、生に執着して死すれば、生れ返りましょうが、然らざれば生まれ返りませぬ」の主張に仏教への本質を垣間見ることができよう。更に時代は遡り、紀元前五世紀のブッダ直々のお言葉をスッタニパータから借りよう。

「諸々の欲望のとどまるところなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人ーかれはどのような解脱をもとめたらよろしいのですか?」
「トーディアよ。諸々の欲望のとどまるところなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには解脱は存在しない。」
(略)
「かれは願いのない人である。かれはなにものも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし、智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーディアよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものを所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 つまり、ブッダは自我の実態として「妄執」という執著が根底にあると説く。執著とは、欲望、恨み、妬み、妄執といったあらゆる煩悩を包括している。煩悩をなくして解脱し涅槃が実現されるためには、「我がない、魂がない」という実体的存在がないということを悟れば涅槃に直行できると考える。

 先の「ミリンダ王の問い」においても

「尊者ナーガセーナよ、涅槃とは止滅のことなのですか?」と王は問う。
「大王よ、そうです。涅槃とは止滅のことです。」

涅槃に輪廻転生はない。

 物語のテーマの符線として、門跡の月修寺は法相宗の寺として定義されている。法相宗の教義は唯識論であるが、これは『豊饒の海』のテーゼとしても良く知られている。第一巻『春の雪』終段で本多が出家した聰子に会いにいくくだりで、大乗仏教で昇華する仏教哲学の極地である唯識論を敷衍している。長いが引用する。

 因陀羅は印度の神で、この神がひとたび網を投げつけると、すべての人間、この世に生のあるものは悉く、網にかかって遁れることはできない。生きとし生けるものは、因陀羅網に引っかかっている存在なのである。
 事物はすべて因果律の理法によって起こるということを縁起と名付けるが因陀羅網はすなわち縁起である。
 さて唯識の開祖世親菩薩の「唯識三十頌」であるが、唯識教義は縁起について頼耶縁起説をとり、その根本をなすものが阿頼耶識である。そもそも阿頼耶とは梵語Alayaの音表で、訳として蔵といい、その中には、一切の活動の結果である種子を蔵めているのである。
 われわれは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識の奥に第七識たる末那識、すなわち自我の意識を持っているが、その更に奥に、阿頼耶識があり「唯識三十頌」に、
「恒に転ずること暴流のごとし」
 と書かれてあるように、水の激流するがごとく、つねに相続転起して絶えることがない。
この識こそは有情の総報の果体なのだ。
 阿頼耶識は変転常ならぬ姿から、無着の「摂大乗論」は、時間に関する独特の縁起説を展開した。阿頼耶識と染汚法の同時更互因果と呼ばれるものがそれである。唯識説は現在の一刹那だけ諸法(それは実は識に他ならない)は存在して、一刹那を過ぎれば滅して無となると考えている。
因果同時とは、阿頼耶識と染汚法が現在の一刹那に同時に存在して、それが互いに因となり果となるということであり、この一刹那を過ぎれば双方共に無になるが、次の刹那にはまた阿頼耶識と染汚法とが新たに生じ、それが更互に因となり果となる。存在者(阿頼耶識と染汚法)が刹那毎に滅することによって、時間がここに成立している。刹那刹那に断絶し滅することによって、時間という連続的なものが成り立っているさまは、点と線との関係にたとえられるであろう。

『暁の寺』では輪廻転生の主体は阿頼耶識であるという唯識論に至る。

 さるにても唯識は、一旦「我」と「魂」とを否定した仏教が、輪廻転生の「主体」をめぐる理論的困難を、もつとも周到精密な理論で切り抜けた、目くるめくばかりに高い知的宗教的建築物であつた。
(略)
 輪廻と無我との矛盾、何世紀も解きえなかつた矛盾を、つひに解いたものこそ唯識だつた。何が生死に輪廻し、あるひは浄土に往生するのか? 一体何が?
(略)
―かくて、何が輪廻転生の主体であり、何が生死に輪廻するのかは明らかになつた。それこそは滔々たる「無我の流れ」であるところの阿頼耶識なのであつた。

畢竟ここに至り『豊饒の海』の中で最も重要な概念である道徳的要請による阿頼耶識と世界が相互に依拠する存在保証の道理が導かれる。

 「世界が存在しなければならぬ、といふことは、かくて、究極の道徳的要請であつたのだ。それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、といふ問いに対する、阿頼耶識の側からの最終の答である。
 もし迷界としての世界の実有が、究極の道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる阿頼耶識こそ、その道徳的要請の源なのであるが、そのとき、阿頼耶識と世界は、すなはち、阿頼耶識と染汚法の形づくる迷界は、相互に依拠してゐると云わねばならない。なぜなら、阿頼耶識がなければ世界は存在しないが、世界が存在しなければ阿頼耶識は自ら主体となつて輪廻転生をするべき場を持たず、従つて悟達への道は永久に閉ざされることになるからである。
 最高の道徳テキ要請によつて、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿頼耶識も
亦、依拠してゐるのであつた。
 しかも、現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させてゐる阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交はる一点に存在するのである」。

 三島の説明は難しくとっつきにくいかも知れないが、巷の解釈本よりも格段に理解しやすい。

 本多に対して聰子が云う「それも心々ですさかい」も唯識の真髄を正に要を得たものである。つまり、唯識では「認識の仕方、心の在り方、心がすべてを作りだしたものにすぎない」と考える。ひらたく言えば、気の持ちかた

ここで整理しておこう。

 大乗仏教における中観・空思想では諸法を認識する心を、眼・耳・鼻・舌・身の五感と、意の六識で捉えている。この六識に対して唯識では末那識と阿頼耶識を加えて八識とし深層心理を掘り下げてきた。すなわち六識の根底に欲望や我執など、いわゆる煩悩に支配される潜在的自我意識があり、これを第七識の末那識とする。七識よりもさらに深い深層意識が第八識の阿頼耶識という超意識である。個人が生きている間に積み重ねてきた行為・業の経験とその結果の記憶が、この八識において「種子」となって蓄積されて行く。遺伝子のような存在なのかも知れない。 三島が『暁の寺』で論じているように、仏教を他の宗教と分ける特色の一つに「諸法無我」という概念がある。霊魂の実体的な存在を否定し「無我」を称える。一方、三島は、「インド哲学とギリシア哲学の対決―ミリンダ王の問い」を引用し、仏教における「無我」の論証を説明している。この「無我」の教説と「輪廻転生」の概念をどう整合させて理解するのか、この理解のために大乗仏教の仏教哲学の極地の唯識説を適用するというわけである。  世親『唯識三十頌』によると、「縁起」に関しては頼耶縁起説を基礎として、その中核をなすものが「阿頼耶識」であって「恒に転ずること暴流のごとし」、相続転起して絶えることのない有情総報の果体である。他方、無著『摂大乗論』は、時間に関する縁起説を展開し、阿頼耶識と染汚法の「同時更互因果」を説明する。つまり唯識論は、ある刹那だけ諸法が存在し、刹那を過ぎれば滅して無くなると考え、因果同時とは阿頼耶識と染汚法が現在の刹那に同時存在していて、それが互いに因となり果となる関係にあって、この刹那を過ぎれば双方共に無に帰するが、次の刹那には再び阿頼耶識と染汚とが新たに生じ、それが更互に因となり果となって、それゆえ、存在者が刹那毎に滅することによって時間が成立している。 仏教は、自己なる実体を認めない。それゆえ、仏教哲学の帰結として「自我」ないしは「自己」などは存在しない。ところが、阿頼耶識と末那識との間の相互作用によって、末那識は存在しないものを錯覚を起こして存在するものだと思量してしまう。そこから自我執着心が、我執が発生するものと考える。阿頼耶識から一切は生成され、またこれによって一切のものが認識される。存在するのは識だけである、という究極の観念論が帰結するかに見える。畢竟、阿頼耶識といっても実体として存在しているわけでもなく、実体として存在しているのは何もない。この世に存在するものはすべて実体はない、すべて因縁によって存在するようになったものである。これが空である。

 因みに、「空」と「無」はどう違うか。中村泰斗は次のように説明している。

空観はしばしば誤解されるように、あらゆる事象を否定したり、空座なものであると見なして無視するものではない。そうではなくて、実はあらゆる事象を建設し成立させるものである。「中論」によれば、「空が適合するものに対しては、あらゆるものが適合する。空が適合しないものに対しては、あらゆるものが適合しない」という。
 つまり、無というのは有に対立する概念であるのに対し、空はその両者を超えたである。すなわち、「空は有でもなければ無でもない。と同時に有であり無である。また、有と無以外のものでもある」なのである。それより重要なことは「一切が空であるがゆえに、一切が成立している」と言うほどの大事な理論なのである。因みに、「中論」の「中」は「中道」の「中」である。 「有るでもなく無でもなく」は,有ると無いの中という意味で中道である。仏典をよむ2 真理のことばより)

 仏教の本質は空で実体はないと解く般若心経の「色即是空、空即是色」はあまりにも有名だが、俺は般若心経を読んでも空を全く理解できなかった。唯識の書物に数多引用されている次の歌が正鵠を射よう。

「引き寄せて 結べば草の 庵にて 解くればもとの 野原なりけり

 庵は、あるのか、ないのか。柴を結べば庵はある。結び目を解けば庵はない。したがって、庵は、あるともいえるし、ないともいえる。それと同時に、あるともいえないし、ないともいえない。庵の存在・有無は「結び」にかかっている。結べば庵はあるし、結ぶまではなかった。結びを解けば、庵はなくなる。これぞ、空である。

 さらに、この「結び」は存在の機序と説く。物事がそれだけで存在することは無い。物事が起こるにはすべて原因や条件がある。因果の連鎖のつながりが、人間のあり方、心の動きについても言える。「因縁」であり「縁起」でもある。

あるとき世尊は、ウルヴェーラー村、ネージャラー河の岸辺に、菩提樹のもとにおられた。
はじめてさとりをひらいておられたのである。そのとき世尊は、七日のあいだずっと足を組んだままで、解脱の楽しみを享けつつ、坐しておられた。ときに世尊は、その七日が過ぎてのちにその瞑想から出て、その夜の最初の部分において、縁起(の理法)を順の順序に従ってよく考えられた。「これがあるときに これがある。これが生起するから これが生起する。」(ウダーナ)

 次の豊臣秀吉の辞世の句も唯識への深い理解を示している。死を目前に空の境地に到達していたのではなかろうか。現実か夢か、この世のすべては仮の姿と。

「露と落ち 露と消えぬる わが身かな 浪華のことは 夢のまた夢」

 さて、最終巻『天人五衰』の題名が死を予感させる。意味は六道最高位の天界にいる天人が長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆し(衣裳垢膩、頭上華萎、身体臭穢、腋下汗出、不楽本座)のことを示す仏教用語である(wikipedia)。

 11月25日、最終巻の原稿を出版社に渡した後、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊において、「七生報國」と書いた鉢巻を頭に巻いて、宮城に遥拝しつつ、聖寿万歳を叫んで自刃した。この日は三島の文壇デビュー作『仮面の告白』が起筆された日でもあり、その四十九日後の1月14日は誕生日にあたる。

 三島は遺作『豊饒の海』で何を欲したのか?
一つの考え方として引用する。

「 三島は『豊饒の海』については、私は小説家になって以来考へつづけてゐた『世界解釈の小説』が書きたかつたのである。
以下つづく。
ここで三島は唯識についての学術的な論究を試みているわけではない。同時更互因果は一種の教理であるが、三島はその教理を言葉通りに信仰の対象にしたわけでもない。だが、三島は同時更互因果という考え方のなかに、何よりも彼自身の文学的主題と深く関わるものを認めたのだった。
その主題とは何であろか。
(略)
世界の崩壊というテーマがそれだ。
(略)
「『豊饒の海』は、同時更互因果という独特の世界解釈のあり方を一種の方便にして、三島が文学者としての独自の立場から世界のあり方を説明し、これを分類し解釈し尽くす方法を探ろうと試みた小説だと言うこともできる。そしてその試みは、世界の崩壊という三島文学年来のテーマを超克する原理を見出そうとすることでもあった。  (三島由紀夫 幻の遺作を読む もう一つの『豊饒の海』より)

 話は変わるが、日曜24時間出勤日はNHK教育テレビ朝五時から放映される「こころの時代」を楽しみにしていた。六月の放映だったかシリーズ「禅の知恵に学ぶ」で、余命を悟ったのか、80歳になるロスチャイルド卿が正眼寺がやって来て人生の晩年はどうですかと老師に聞いた。
これに対して老師は公案で返した。

僧、雲門に問う、樹凋み葉落つる時如何。
雲門曰く、体露金風。 卿「そんなものは座禅せにゃわからん」
卿は座禅した後に、何かを感じたんだろう、明るく「わかりません」
老師「そうじゃろわからんだろ、わっはは」

 最高の人生を掴んだ人でも、明日のことは分からないし、寿命はどうにもならない。「日々を楽しんで最期まで精一杯生きよ、ということか。

 ブッダは最期に、

「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
(略) 「さあ、修行僧たちよ。おまえたちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』。」(大パリニッバーナより)

 これが修行をつづけてきた者の最後のことばであった。

 仏教は元来悟りを得て自身の救済のみを目指した宗教で(原始仏教、小乗仏教)、その悟りを広めて他の衆生も救う行動を仏の慈悲と呼び大乗仏教として日本で発展したが、俺はブッダの教えの原点を大事にしている。宗教哲学としては唯識論を支持しているが、「死ねば無に帰る。空は無である」と割り切って考えている。宗派に全く拘りはないが、実家は浄土真宗西本願寺派の宗徒なので先祖代々遺骨は本山で祖壇納骨する習わしだ。父は病死の前日「俺もう死ぬんかいね」、母は事故死前日父の三回忌の食事会席上「毎日が心が休まり本当に楽しい」と吐露。両親の最期の一言だった。ふた親とも現世に未練なく成仏したと確信している。

 昨年日本一周の折、飯盛山の白虎隊の墓前を参拝した。最後の階段を登って墓前を目にした瞬間、急に寒気がして身体がガタガタ震えた記憶が依然として生々しい。何とか墓前には行きましたが、少年隊は成仏していないですね。ここに立ち寄るのは避けた方が無難ですよ。

 是非書いておかなければならないことがある。旅につきものの出会いの話題だ。総じて年配者から話しかけてくる場合は本人の自慢話に終わるケースが殆どだ。何故か年を重ねる程執着が増すようだ。唯一の例外は熊本の道の駅うきで出会った御仁だ。70歳位の経営者の方だったが全く自慢話のない純粋な御方で互いの人生観を交わした。俺もこんな老けたいものだ。7/11の冷やしそばとタピオカの入ったヨーグルトをご馳走になった。一生忘れられない美味さだった。お名前は敢えて聞かなかったがこの場を借りてお礼申し上げる。
一方、若者の場合は人生相談が主体だ。若者から差し入れを貰うことも度々あったが、若者から貰い物を受けるほど落ちぶれてはいない。勿論その気持ちに対して厚くお礼をしたが。年配者に比べて純粋無垢な若者が多く、今の若者も捨てて置けないと嬉しい気持ちになり感激したことも数知れず。

 こんな辛気臭い話は、ブッダの教えの真髄だと思っている偈二句と息子が高校の古文で学んだ詩一句を引用して、ここらで終わりにしよう。

(四法印より)

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
一切皆苦

(七仏通誡偈より)

諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

(漁父辞より)

滄浪之水清兮
可以濯吾纓
滄浪之水濁兮
可以濯吾足

主な参考資料

  • 三島由紀夫:    豊饒の海
  • 大澤真幸:     三島由紀夫のふたつの謎
  • 井上隆史:     豊饒なる仮面 三島由紀夫
  • 井上隆史:     三島由紀夫幻の遺作を読む もう一つの「豊饒の海」
  • 出口裕弘:     三島由紀夫・昭和の迷宮
  • 持丸博・佐藤松男: 証言三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決
  • 文芸読本、文學界: 三島由紀夫特集
  • 中村元:      仏典を読むシリーズ、ブッダのことば、龍樹
  • 宮元啓一:     ブッダが考えたこと
  • 浄土三部経、維摩経(おもろい)、法華経、般若心経、歎異抄

終わり

余談

 夜勤の仕事は辞めた。夜勤中の暇な時は読書と思索に集中でき、専ら仏教本を読み漁っていた。仏教学の中村元泰斗による原始仏教シリーズを皮切りに経典の外観本など、俺が宗教関連本をむさぶるように読むことになるとは若い頃は予想もしなかった。それだけ年をとったことになるのか?死との隣り合わせだった職場のせいかもしれない。実はホスピス系総合病院の夜勤警備のバイトをやっていた。一般的な警備業務、救急の問い合わせに対するカルテ出し業務に加えて、病院特有の亡くなった患者のお見送りが時折発生する。九ヶ月もお見送りに関わっていると死臭の強いフロアが分かるようになってくる。死が近くなると、少しずつ細胞が死滅して身体が臭穢するのであろうか。バロメーターのスエタ身体臭穢がきつい日はお見送りが発生する公算が高い。

 なお、本論の趣旨から外れるが、警備員が患者のカルテに自由にアクセスできる環境にあって、個人情報管理上非常にルーズというか馬鹿な職場だ。突如辞めた相方がいたが、個人情報を持ってトンズラしたのではないかと勘ぐってしまった程だ。出自の疑わしい警備員が多いからね。巷に出回っている漏洩した個人情報も出処はこんな処かもしれないと思う。もうそんな事どうでもよいことだが。

さあ、梅雨も明けて夏山シーズン到来だ!

夜勤中は、人類史上最高傑作カラマゾフノの兄弟を原書で読破できなかったが、山に籠もって読むことにしようぜ。

以上

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