JAT〜Mountaineering Year 2024

JAT〜Mountaineering Year 2024

後立山連峰鹿島槍ヶ岳の登頂はテント泊が余儀なくされるので断念していたものの矢張り諦めきれない。日課の早朝散歩は足掛け二年目に入り体調は万全なるも体力の低下は否めないので、急登の赤岩尾根ルートを諦めて見晴らしが良いと聞く柏原新道ルートからチャレンジすることにする。昨年の山行は雨と風に荒れたが、総距離約20km程だが今年の山行はどうなるのだろうか?Although I had given up a plan to climb Mt. Kashima-Yarigatake in the Ushiro-Tateyama Range because I would have to sleep overnight in a tent, I cannot give up. This is the second year of my daily early morning walk and I am in perfect physical condition. but I cannot deny that my stamina is decreasing. Therefore, I give up the steep Akaiwa Ridge route and decide to take the Kashiwabara Shinmichi route, which offers a good view of mountains. Last year’s climbing was ravaged by rain and wind, but how will this year’s climb which covers a total distance of about 20 km, turn out?

鹿島槍ヶ岳

糸魚川迄行くので雨飾山にも登ることにする。天気は雨の予報だが何時までも待っていられないので、梅雨明け間近7月下旬に愛車RZ50で出発する。糸魚川経由の旅程は三度となるので何ら不安はない。只、9時間以上もかかるのが辛い。

今回、ナッツ系が行動食として血糖値の変化を共わなず有効と聞くピーナッツを持参する。要は、俺の納豆と共に酒のつまみである

糸魚川で牛丼で精をつけてから白馬駅経由午後2時半頃登山口に到着する。ポツポツ雨が降っている。扇沢ターミナルを散策するが適当な野営場所が見つからない。仕方ないので、登山口の臨救対応テント内の椅子で寝ることにする。夜半までポツリポツリと雨が降っていたが、朝には雨も止み朝焼けが綺麗だ。蚊の襲撃はなかったが椅子での仮眠故疲れが全く取れていない。

明るくなった4時半頃から登り始める百名山チャレンジ組に誘発されて登り始める。
登山道は手入れが行き届いており実に登りやすい。思ったほど荷の重さを感じることなくゆっくりと登っていく。途中、富士見坂の看板に出会う。富士山が見えるのかと驚き周囲を見渡すと。あの頼もしい存在がクッキリと目に入る。元気を貰って足取りも軽くなる。

9時頃に種池山荘に到着。富士山、中央・南アルプスが一望できる最高のロケーションである。富士山を中央に左に八ヶ岳、右に、甲斐駒ヶ岳、北岳、仙丈岳が秀麗な姿を見せる。

絶景を拝めたことに感謝しつつ爺ヶ岳南峰へ向かう。
噂通りの見晴らしのきく尾根歩きに清々しい気持ちになる。振り返ると種池山荘が眼下に見える。南峰は間近に見えるが、距離的にはかなりある。荷が徐々に重く感じる。

南峰山頂に到着する。
左手から薬師岳、立山連峰、別山、そして剱岳が雄姿を見せている。ガスがかかっていて山容はクリアでなく残念だ。
中峰、北峰への登頂はパスして冷池山荘へ急ぐ。
途中、ガスが切れ、槍ヶ岳、穂高連峰、常念岳の山々があらわれる。
鹿島槍ヶ岳が眼前に迫ってくる。
昨年の木曽駒ヶ岳から空木岳への縦走時見た北側から見る鹿島槍ヶ岳の双耳の姿の方が好みだ。


足取りが重くなると共に眠くなってくる。我慢ができなくなって登山道脇で仮眠を取る。時間にして30分程失神する体たらく。気を取り直して上り始める。

冷池山荘に到着する。もうお昼時だ。
テント場の手続きの最中に途中追い抜いた70代の百名山チャレンジ組も続々と到着する。気にしても埒が明かないが、二時間程の行程を3時間半もかかったことになる。

テント場は山荘から10分程の上がった処にある。テントを設営中に天候の雲域が怪しくなってくる。設営を終えることは周りはすっかりガスに覆われ、時折ポツポツと雨が落ちてくる。
風も出てきた。予報より天候の悪化は早いようだ。

野営組は10組程と天候の予報を見据えてか少なめ。キレット超えも何組かいる。
視界はなくやることもないので早々とアルファ米レトルトカレーを食べて寝る体制に入る。
夜半時折雨音に目が覚める。風は相変わらず強そうだ。

3時半頃に目が覚める。風は吹いているが雨は止んでいるようだ。
隣のキレット超えの御仁に挨拶し、空が白み始めた4時半後出発する。テントは設営のままにしておく。風は強いが雨は降っていない。微かに朝焼けも目に入るが視界は悪い。

デイパックのみの軽装もあって足取りは軽い。
程なく雨が降り始める。風は相変わらず強く吹いている。登山道を見失わないように留意するが、稜線歩きなので登りやすい。布引山山頂に近くなると遮るものがなく、容赦なく雨風が吹き付けるが、気が急いて歩を緩めることもなく淡々と登っていく。
2時間弱で山頂に到着する。

雨風が吹き荒れている。北峰に行く計画であったが、下りの視界が開けていないので用心してキッパリと断念する。そうこうしているとキレット挑戦者が登頂して来た。三角点をタッチしてから下山していく。キレット超えを断念したのだろうか。

落ちつく余裕はないが普段取りメンチカツパンとコーラで朝食を取る。15分ほど滞在して下山を開始。天候は段々と悪化する。途中二人組の登頂組に出会い、山頂の様子を伝える。山頂は雨かという気落ちした声を背に聞きながら歩を進める。

テント場迄戻ってきた。俺のテントだけがポツンと取り残されている。ザックとテントを回収して一路山荘へ下る。支配人と暫く話を交わす。最近は天候不順な日が多いと嘆く。登頂を予定していた宿泊客は出会った二人組を除いて全員下山したと聞く。北峰へ渡行を断念したことを伝えると傾斜の急な岩場が続くので賢明な判断だと労いの言葉を投げかけてくれる。後期高齢者とは思えない若く見える支配人にお別れして種池山荘へ急ぐ。

風は弱まったが雨脚が強い。三時間ほどで種池山荘に到着。
ずぶ濡れだが気持ちよく迎え入れてくれる。今日は断続的に雨が降り続き好転するのは午後三時頃予報との事。仕方ない。昼時でもあってこの際ゆっくりと山荘内で寛ぐことにする。惣菜パンを3個食って腹もふくれ気分も新たにする。一気に下ろう。
玄関を開けると本降りだ。体調は未だ大丈夫。気合十分。

雨で滑りやすく歩きにくいが、足取りはしっかりしている。
しかし、ケルンを過ぎた頃から足取りが重くなる。疲れも溜まってきた。緊張感が失せ注意力も散漫になる。集中出来ない。浮遊しているようでやっと歩いている感じだ。途中転ぶこと数度。立ち上がるのもやっとだ。正に白馬岳の登山時と状況と変わりない。車の音が聞こえるので登山口迄の距離は短いはずだが実に長く感じる。最後はヘロヘロになりながらやっとも思いで登山口に到着。長かった。小降りだが未だ降っている。

行動時間上り下り
柏原登山口4:4016:20
種池山荘8:5012:50
11:50
冷池山荘(泊)12:30
4:40
8:50
8:30
鹿島槍ヶ岳南峰6:306:45
行程表

定宿の道の駅白馬に着く頃は夕暮れ時である。雨はポツリポツリだが降っている。
近くのコンピ二で酎ハイを調達。ピーナッツを食いながら、一日を振り返りながら疲れを癒やす。小腹が空いているので好物のカレーラーメンを食べる。

蚊の襲来に襲われて安眠できず。

雨飾山

遅めに雨飾山へ向かう。足痛を覚えるが歩きは然程困難ではない。

勾配のある曲がりくねった狭い道を上がっていく。
気分が乗らず走っていても楽しくない。それにどうも平衡感覚が取りにくい。
登山口の駐車場に止める直前、バランスを崩してバイクで転ける。幸先が悪い。

雨飾山は見えないが一軒家の山荘の横脇から登っていく。
気分が乗らず集中できない。脚にも力が入らず嫌々ながら登っていく。
結局、登り始めて半時程してキッパリと登山を諦める。鹿島槍ヶ岳登頂で一挙に脱力感に襲われたか。

雨飾山登山口

周りの雰囲気に馴染めず再チャレンジする気持ちも消え失せる。
このまま家に戻るのは勿体ないので、富山・金沢を観光する。

富山、金沢

富山県美術館へ向かうが生憎休館日である。
かねてから読みたかった本を読みに富山県立図書館に立ち寄る。市内からちょっと離れた山の手の方にありました。疲れを癒やしながら、岡崎久彦著「陸奥宗光 」を読みながら、何時の間にか失神している。

夜はお気に入りの富山城址公園で過ごす。牛丼を食って蚊の襲来もなく快眠する。

富山城址公園

金沢は通り道が狭く日中はバイクでも動きにくい。早朝に茶屋街を散策することにし、主計町・ひがし町の茶屋街へ向かう。一方通行、乗入れ禁止道路が多く手間取る。

茶屋街の様子は以下の写真集でご覧ください。

金沢の茶屋街は小ぢんまりとしてスケールは小さいような。

お気に入りの県立図書館によって岡崎久彦著「吉田茂とその時代」を読む。人間性には惹かれないが時代の寵児であることは否めない。それにしても電源を自由に使える県立図書館はベストな環境である。一日中いたい。矢張り住むのは大都会か、県庁所在地だね。

夕方帰宅する。

山行を終えて

鹿島槍ヶ岳山頂は雨風に荒れて視界ゼロであったが、前日申し分のない絶景を堪能したこともあって余り後悔してないものの、北峰からキレット小屋を望みたい気持ちはある。それよりも念願の双耳峰の名峰鹿島槍ヶ岳登頂を果たす事ができ感極まる。

もう何度も経験していて分かりきったことであるが、行動食のピーナッツも全く効果がなく、根本的に体力がないことを改めて痛感。今回百名山登頂を目指した数人の方にお会いしたが、5Kgにも満たないデイパックの軽装でハイキングのように登頂する姿に驚く。俺には未だテント泊に未練があってそんな山行スタイルは合わないが、矢張り年には勝てない。そろそろテント泊を見限るしかなさそうだ。

よし、覚悟を決めよう。
70歳を機にテント泊を断念、山荘泊に変えることを決意。
来年のテント泊山行は甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、最後の年は立山、五色ヶ原、奥大日岳の縦走を考えている。残り限られたテント泊を楽しもうではないか?

秋には恒例の白山参りに出かけるか!

以上
on the moving forward.

余録

能登

新年早々の能登半島地震、俺は鎌倉に居たので難は逃れたが加賀でも相当な揺れであったと聞く。胸騒ぎを覚えなかったのと家具が殆どないので大きな損害はなかろうと高を括っていたが、家に戻ってきたや否や真っ先にガレージのシャッターを開けて愛車の無事を確認した次第である。当初ペットボトルが数本倒れる程度の軽微な被害と思ったが、隈なく家を観察してみると壁に数カ所亀裂が入っているのを発見。

ゴールデンウィークにボランティア活動を視野に意気込んで向かう。

七尾市内に入った瞬間に道路の状況が変わる。マンホールが突き出て道路が陥没、電信柱が傾いている箇所を何度も目にする。金玉をカチあげられてオチオチと走っておられない。

連休中仮営業でにぎやかな能登食祭市場で軽く休憩後一路和倉温泉へ向かう。

悲惨な光景を目の辺りにする。
加賀屋旅館の地盤が傾き母屋には亀裂が入っている。撤去解体にして地盤整理が必要な事は明らか。私費での修繕は無理だろう。俺もその一人だが、物見遊山な観光客が多いのに驚く。

能登島に行こうとしたが、道路状態が悪く砂利で応急修繕の状態。パンクの恐れがあるので渡島を断念。能登半島周遊道路国道249号経由穴水に入る。道路状況は一段と悪化する。建屋の崩壊をよく目にするようになる。特に、古い建屋の崩壊が目立つ。トンネルの崩落にも直面。穴水庁舎前も悲惨な状態だが市庁舎は開いている。宇出津を抜けて珠洲に向かう。

道の駅すずなりで夜を過ごす。コンビニで酒を調達する予定であったが、短縮営業で買いそびれる。寝るしかない。夜間営業しているラーメン屋はあるが、街は暗く静かだ。

翌早朝移動を開始する。
外湾を半時計回りに輪島へ向かう。日本一で周回した折、風光明媚な海岸沿いの船着き場のある建屋にで釣り三昧の日々を贈りたいと思った場所である。途中、宗玄酒蔵が無事だったことに安堵して恋路海岸を抜け、5メートル程の津波の影響があった聞く須須神社、寺家周辺にさしかかる。春の陽気に誘われる中、現場の悲惨な現状を目の当たりにする。その先、能登半島最先端のランプの宿等の観光施設は被害がない模様であるが、全て休業中で現地には人っ子一人見かけない。狼煙の灯台にも立ち寄る。ここは被害はなく平穏である。

大谷村への国道249号には通行止めが何箇所かあるが道の駅すず塩田村へは行けそうだ。しかし、塩田村へ通じる手前で大規模な土砂の崩落で封鎖中に遭遇。来た道を戻ることになる。距離的に可也あるので、通行止めをショートカットして大谷トンネルを通り抜けることにする。これが大誤算であった。

陸橋のつなぎ目で一部陥没している箇所があるが何とか通れる。大谷トンネルに入る。珠洲は間近だ。
トンネル内部は真っ暗闇で何かあったのかと不安に駆られながらゆっくりと走る。異常がないようなので、徐々にスピードを上げる。突然、道路一面が砂まみれになっていることに気づく。急ブレーキをかける。前輪がスリップにして右に横倒れになりながら何とか止まってくれる。

スマホの懐中電灯を灯すと道路が盛り上がって瓦礫の山が眼前にある。その直前で停止したようだ。スリップしなければ瓦礫の山に激突したであろう。幸い体は動く。エンジンが止まったままだ。廃車になったのではないかと不安に駆られながら、火事場の馬鹿力で何とかトンネルから脱出する。数十メートル程歩いたろうか?

日の下でバイクをチェックする。ウィンカー二箇所の損傷、フロントフェンダーの割れ、ナンバープレートの曲がりを発見する。エンジンを掛けると難なく始動する。廃車の危機を心配したが寸前から生き返った。

体の損傷の具合を調べる。右膝上部、左腕関節、右鎖骨が痛む。動かせるので軽度の打撲であろうか。腕・膝はプロテクターをしていたが、プロテクターで保護できない膝上部を打撲。数日後痛みは消えた。膝関節の打撲でなくて助かった。左腕関節の内側の骨の痛みが最も長引いたがもう痛まない。

地元の図書館で日経BP「検証能登半島地震」で崩落した大谷トンネルの特集記事に出会い、事故現場の被害状況を改めて把握する。

能登さとやま街道経由輪島に入る。
市内の惨状に言葉もない。全て震災前にリセットしたい。道の駅千枚田は観光客で混雑している。その図々しさに唖然とするばかり。

道の駅赤神で野宿。ぐったり

翌朝總持寺祖院を訪問する。
2007年の能登半島地震で伽藍が傾く等境内の建物30棟全て被害を受ける。その後修復工事が進められ2021年、開創700年目の落慶法要が営まれている。本年4月には総持寺開祖・瑩山の700回忌法要に向けた記念行事を控える矢先での被災となった。

大祖堂、山門、仏殿、経蔵、坐禅堂等の主要な建物の倒壊は免れているが、山門右手の回廊が全壊し甚大な被害を受けている。前回の地震の被害を受けてから復旧して漸くの復興祭の開催の矢先に再度被害に会う不運。地元の人も震災後数ヶ月経つが復旧の兆しが全く無いと嘆いておられる。

今回能登半島を一周したが復旧の速度が酷く遅いのには呆れるほど、都会だったらこんなことはないであろうと思う。政府が全く本気になっていない。

トラブルに出会ったこともあってか、当初思い描いていたボランティア活動への意欲は全く脳裏から消えてしまう。情けない限り。

千里浜なぎさドライブウエイを走って気分を一新してから、帰宅する。

三国祭り

亡き母の実家のある三国祭りに数十年ぶりに愛でに出かける。

三国祭は江戸中期から続く歴史ある三國神社の例祭。最大の呼び物は中日に行われる巨大な武者人形を載せた高さ約6メートルにも及ぶ山車が街を練り回す、北陸三大祭りと言えるのも尤もだ。子供の頃の記憶にある勇壮な山車には改めて魅入る。当時と異なるのは、山車の最後に冷たい飲み物を積んだ荷車を控えている。昔に比べて暑いからね。

笛や太鼓、三味線のお囃子と共に、勇壮な6基の山車が三國神社を順次出発し三国湊の町を練り歩く。夕方三国駅に再集結する段取り。今年の山車の巡回順番は以下の通り。

  1. 那須与一(四日市区)
  2. 石川五右衛門(大門区)
  3. 柴田勝家(下西区)
  4. 狐忠信(三国祭保存振興会)
  5. 武田信玄(竪・上横区)
  6. 雑賀孫市(南末広区)
名物の三国まんじゅう

母の実家に寄る。健在で親族も増えたことを知り気分も和む。
大好物の石勝食堂のおろしそばを食う。超有名な新保屋に比べて辛味を抑えた味付けの方が俺の好み。大満足の旅でした。

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